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人間、誰にだってドラマはある。と思います。 これまでの人生の体験談や、人生遍歴について書いたブログがあればご遠慮なくトラックバックして下さい 人間観察が好き、同じような経験した人いるかな?、他人の人生を覗いてみたい!という方、ぜひご参加下さい♪
テーマ投稿数
215件
参加メンバー
6人

人生について書いてみませんか?の記事

2020年04月 (1件〜50件)

  • #アメブロ投稿ネタ
  • #ニート日記
  • 2020/04/30 10:24
    DJダイノジとミーハーおじさん

    お笑い芸人としてのダイノジの存在は、爆笑オンエアバトルや、ケツメイシの「涙」のPV出演などで当然知ってました ただ、ダイノジがDJをやっているというのは、ロックインジャパンに行った時に初めて知りました 初めて観たDJダイノジは、ステージではエアギター世界一の大地さんや、髭と顔が濃いインパクト大のキャラ、杉田先生などが踊っていて、フジファブリックの「銀河」にコミカルな振り付けをつけてみんなで踊るという、とてもわかりやすく、それでいて盛り上がれる、芸人ならではのスタイルでした 大谷さんのMCも熱くて面白くて、音楽への愛情が感じられて、フェスでのDJダイノジのステージは、いつも満員で入場規制がかかる…

  • 2020/04/29 09:25
    伝説の一夜

    初めて行った2009年以降、2010年、2011年と毎年ROCK IN JAPAN FESTIVALに行きました DJを初めてからは、DJブースに行く機会も増えました。いろいろなDJのプレイを観てきましたが、やはり一番すごかったのはGetting Betterの片平実さんでした 片平実さんは、1996年にROCK PARTY「Getting Better」を始め、DJブースが出来始めた頃からロックインジャパン、カウントダウンジャパンに10年以上出演 今でもVIVA LA ROCKやUKFC on the Roadなどのロックフェスに出演し、メジャーレーベルから何枚ものROCK MIX CDを発…

  • 2020/04/28 07:49
    桃鉄とはもはや、人生である

    おじさんは、ゲームをほとんどしません ファミコン世代なので、子供の頃はみんなと同じく、おじさんもファミコンにハマってました スーファミ、ゲームボーイも当然やってたし、ストⅡが出た頃はゲーセンに通って夢中になってました プレステもやってましたが、その頃には自然とゲームから離れていき、プレステ2以降はやる事はありませんでした そんなおじさんでも、大好きなゲームが1つだけあります それは、桃太郎電鉄。略して桃鉄です 初めてやったのは確か小学生か中学生の頃、夏休みに友達からスーファミと、ぷよぷよと桃鉄のカセットを借り、夏休み中ずっとひきこもってやり込んだ記憶があります おかげで「ひとりでぷよぷよ」は永…

  • 2020/04/27 13:47
    できっこないをやらなくちゃ

    2009年、初めて行ったROCK IN JAPAN FESTIVALでDJブースの楽しさにドハマりしたおじさんは、ロックインジャパンのDJブースのステージに立ちたい!という夢ができ、2010年9月に自主企画の邦楽ロック中心のDJイベント「踊ROCK」を始めました 初イベントは、とても楽しくて、集客もまずまずで、反応も良く、上々のスタートでした その後、2011年2月、6月、11月と、コンスタントにイベントを続けていきました。活動を続けるうちに、いろいろなDJさんやお客さんと出会いました DJと平行してバンド活動もやっていて、バンドでは月に1回くらいのペースでライブをしていました。バンドでも、い…

  • 2020/04/25 10:27
    はるこばーちゃんとピー助くん

    おじさんが子供の頃、物心がついた時には既に両親が離婚していました 最初は母親の家で姉と三人で暮らしていたんですが、おじさんの事情で母親と離れ、父親の実家で暮らす事になりました 実家にいる祖母はおじさんにとって、母親代わりのような存在でした 祖母はまだ10代の頃に、いわゆるできちゃった結婚をし、父親が生まれました。その後、5人を出産し、6人の子供の母親となりました 身長はとても小さくて、恐らく145cmもないと思います。祖父は典型的な亭主関白タイプで、仕事一筋の人だったので、祖母は小さな身体で、家事全般を一人でこなして6人の子供を育てあげました 祖母は料理が上手で、おかげで家で食べる料理はすべて…

  • 2020/04/24 11:47
    ロックンロールは聴こえるかい?

    沖縄に帰ってきてから加入したバンドでは、月に1回くらいのペースでライブをしていて、県内のいろいろなバンドと対バンしました 正直に言うと最初は、ノルマのハードルが高い大阪で活動してきた経験があるおじさんにとって、沖縄のバンドマンの環境は生温いなと思っていました 大阪だと1バンドのノルマが40000円なのに対し、沖縄ではハコにもよりますが10000円程度で大阪の4分の1でした 当然、金銭的なリスクが少なくなるとハングリー精神も違ってきます。大阪のバンドのように、他のバンド目当てのお客さんであってもいいライブを見せて奪ってやるというギラギラ感もなければ、対バン同士もライバルというかはみんなでいいイベ…

  • 2020/04/23 10:42
    尊敬するミュージシャンであり友人の浜田一平をみんなにも知ってもらいたい

    DJを始める少し前の頃の話です おじさんが大阪時代にやっていたバンド「松健郎」と、仲の良かった「FASTER-Hi」と「NO SPEAK ENGLISH」は結局、全部解散してしまいました その後、バンドを辞めた人もいれば、新たに別のバンドを組んで音楽を続けている人もいて。一部の人とは、ちょくちょく連絡をとっていました ある日、FASTER-Hiのギター兼ボケ担当のはまじから連絡がありました バンドが解散した後は、ソロで活動しているとの事だったので、デモ音源を聴きたいから送ってほしいとお願いしました ファスター時代のはまじは、コーラスはやっていたものの、正直、どんな歌声だったかはあまり印象に残っ…

  • 2020/04/22 16:13
    スーパーを視察する事が好きです

    今日は休日 ブログやYouTubeのデザインや設定を変更したり、いろいろ勉強しているんですが、難しいですねー まだまだ勉強が必要です… 今日は、おじさんが好きなものについて書こうと思います おじさんは、スーパーを巡って、いろいろな食材を観て、店の評価をつけることがとても好きです。おじさんはこの行為を、「視察」と呼んでいます 見知らぬ土地に旅行に行く時は必ず、その地域のスーパーを視察します 沖縄県内であっても、これまで行った事ない店舗があればとりあえず視察します もちろんここ田川市でも、交通手段がママチャリしかないというハンデを背負いながらも、近隣(といっても結構距離があるけど)のスーパー7店舗…

  • 2020/04/21 11:49
    30歳手前にして壮大な夢へ歩み出す

    初めて行った、憧れのROCK IN JAPAN FESTIVALは、とても楽しくて、幸せで、夢のような空間でした いろいろなアーティストの素晴らしいステージをたくさん観てきましたが、中でも一番心に残ったのは、自分でも意外でしたが、DJブースのステージでした 出演バンドはもちろん、解散してしまって今では聴けないバンドの曲や、全く知らなかった曲など、いろいろな曲が大音量で聴けて、みんなで自由に踊る その空間がありえないほど楽しくて。そこにはアーティストは出ないし、ただ曲をかけているだけなのにこれだけの人を楽しませる事ができるんだと衝撃を受けました そして帰る頃には、「DJをやって、このステージに立…

  • 2020/04/20 09:38
    夢のような空間でできた新たな夢

    〜前回のあらすじ〜 高校生の頃、たまたまBSで観たRISING SUN ROCK FESTIVAL1999をきっかけにロックフェスオタクになったおじさん いつかラインジングやロックインジャパンを観に行きたいと思いつつも経済的な理由で行けず 2009年のある日、ユニコーンの復活とウルフルズの活動休止という知らせが届く。さらにその二組がロックインジャパンに出演すると知り、思わずチケットを申し込んだのでした… 〜〜〜〜〜〜〜 2009年の夏、とうとう憧れだったROCK IN JAPAN FESTIVALへ行く事を決意したおじさん 一人で行くのは心もとないので、会社の同僚2人を誘い、一緒に行く事になり…

  • ブログみる日本ブログ村のブログアプリ【ブログみる】がどんなのか使ってみた - ハウリンの雑念だらけで生きている
  • 2020/04/19 13:55
    おじさんと夏フェス

    おじさんが「ロックフェス」の存在を知ったのは、高校の頃、たまたまBSで観たRISING SUN ROCK FESTIVAL1999でした 今でこそ全国各地で当たり前のように夏フェスが乱立していますが、当時はまだサマソニもロックインジャパンもなく、フェスといえばフジロックとライジングサンぐらいしかなくて、世間一般の人にロックフェスというものはほとんど認知されていませんでした BSで観たライジングサンには、ミッシェルにハイロウズにブランキーにDragon Ashに椎名林檎など、好きなアーティストがたくさん出演していて、一日でこれだけ豪華なメンツが観れるなんて!とものすごい衝撃を受けました しかも、…

  • 2020/04/18 09:47
    夢が叶った日

    心の病がようやく治まってきた頃、前職でお世話になった先輩の言葉を思い出し、またバンドをやろうと決心しました メンバー募集で知り合った、一つ年上のギター兼ボーカルと、ベースと、3ピースバンドを組みました バンド名は既に決まっていて、「イエロー★ナイフ」という、とてつもなくダサい名前でした…。これはあまりにもダサすぎる。ブルーハーツがいるのにバンド名に色を入れる時点で壊滅的にダサいのに、さらにナイフがつくなんてもはやダサいバンド名の大喜利かとしか思えないレベル。一万歩譲って名前は変えないとしても、天才的にダサい「★」はなくそう、などなど、何百回もメンバーを説得しましたが、頑に改名を拒まれました… …

  • 2020/04/17 08:56
    ハシヤスメ・ジビエ

    ここのところ暗い記事ばかり書いていたのでここらで一休み 今日は、田川市に単身赴任に来て経験した事について書きます 今働いているプロジェクトは、下は大学生から、上は還暦の方まで、年齢も性格も職歴も様々な方が働いています 別の仕事と掛け持ちをしている方も多いんですが、その中にはなんと、狩猟をしている方もいます その方はおじさんより少し年上の女性の方で、顔立ちも綺麗で物腰は穏やかで、動物を猟るイメージなんて全く想像できないんですが、罠を仕掛けて鹿や猪や鴨を猟っているそうです 野生の物を採って食べる事が大好きなおじさんにとって、狩猟をする人なんて雲の上の存在で尊敬しかないです 先日、そんなものすごい方…

  • 2020/04/16 10:30
    今思えば明らかに心が病んでいた

    離婚をきっかけにおじさんは、次第に心が病んでいきました 家に帰っても寝れず、食欲もなくなり、3ヶ月で体重が10Kg落ちました とにかく一人でいるのが嫌で、友達に手当たり次第声をかけては、毎晩飲み歩き、睡眠もほとんどとらずに仕事に行くという生活でした 現実から目を背けかったのと、もうどうなってもいいやという自暴自棄な考えで、毎晩無茶な飲み方をしていました。しかし、どれだけ飲んでも家族の事が頭から離れず、友人と飲んでいても心ここにあらずで、意識に膜が張っているような、常にぼんやりとした状態でした 異変は体にも現れました。体に発疹ができるようになり、病院で診察したところ、帯状疱疹と診断され、治療のた…

  • 2020/04/15 10:06
    理想と厳しい現実、そして離婚へ

    コールセンターに入社して1ヶ月後。ハードな初期研修についていくのが精一杯でしたが、仲のいい同期メンバーの助けもあり、なんとか初期研修をクリアする事ができました 11人の同期は、3つのプロジェクトに分かれて配属が決まりました。おじさんが配属されたのは、PCのテクニカルサポートのプロジェクトでした 初期研修をしていたフロアはリフレッシュルームの天井が高く開放的で、スタイリッシュな作りなのに対して、配属されたプロジェクトのフロアはリフレッシュルームは狭く、常にカップラーメンの臭いが漂っていて、喫煙室にはサンドバックがあり、まるで別世界でした 働いている社員の様子もまるで違いました。初期研修をしていた…

  • 2020/04/14 12:14
    うまくいく事、いかない事

    23歳の4月、おじさんは難関を突破しコールセンターに就職しました 同期入社は男性が6人、女性が5人で、男性はおじさんが最年少、女性はひとつ年下の大卒の子が3人いて、2回目の面接で一緒だった、情報系の専門学校の元講師や元SEの人もいました この11人で、1ヶ月間の初期研修がスタートしました 研修内容は、発声練習や毎朝担当を決めての3分間スピーチ、滑舌のトレーニングといった基礎的なものから、PC知識、タイピング、講師がお客様役で研修生がオペレーター役となってのロールプレイングといった実践的なものまで様々でした PC知識ゼロのおじさんは、研修についていくのが必死でした。なにせ、講師の人が当たり前のよ…

  • 2020/04/13 09:33
    いま、思う事

    普段は1日に一本動画配信してるんですけど、ここ最近のコロナの影響について思う事について話す動画をアップしました自問自答と自己嫌悪に苛まれる日々ですが、自分なりに考えたことを話しています ○今日の動画 沖縄おじさんの休日のささやかな楽しみ 〜いま、思うこと〜 ♪今日の一曲 スマイル / ホフディラン 人気ブログランキング にほんブログ村

  • 2020/04/13 09:33
    諦めなければなんとかなる

    ブラック企業を退職したあと、日雇いの登録制バイトとイベントスタッフのバイトを掛け持ちしながら職探しをしました イベントスタッフのバイトでは、中島みゆきのコンサートのドア監視係や、ORANGE RANGEのライブ会場設営と撤去や、湘南乃風が出るヒップホップイベントのもぎりをやったりと、いろいろなジャンルの音楽の現場に携われて趣味と実益を兼ねた楽しいバイトでした ある日、テクニカルサポートのコールセンターの正社員募集の広告を見つけました 募集要項によると、PCスキルも不要、未経験者でも大丈夫との事なので、とりあえず会社説明会に参加してみる事にしました 説明会当日、ミーティングルームで一通り会社概要…

  • 2020/04/12 10:36
    闇の中から救い出してくれた恩人

    勤務時間は長く、社員は独裁者の部長の機嫌をとる、いわゆるブラック企業に就職したおじさんは、次第に心が蝕まれていき、家庭もうまくいかなくなってきました このままではいけないと危機感を感じたおじさんは、退職しようと決心しました 退職するには、まず直属の上司である先輩に退職の意志を伝えなくてはいけません おじさんの事をいつも気にかけてくれ、とても熱心に仕事をおしえてくれた先輩の期待を裏切るようでとても心苦しく、なかなか言い出す勇気がありませんでした 先輩の期待は裏切りたくないが、会社は辞めたい…。どうすればいいだろうと考えたおじさんは、自分の意志ではなく家族に反対されたと、ミエミエの嘘をついて、退職…

  • 2020/04/11 09:23
    蝕まれていく心と家庭

    前回の続き フランチャイズの店舗展開を行う会社に入社して数ヶ月経ったある日、数週間違いで入社した先輩とおじさんの新人2人は、別店舗への異動を命じられ、先輩が店主、おじさんが副店主として店舗を運営する事になりました 先輩は入社時期こそ僅か数週間違いですが、年上で大卒で社会経験もあり、新人とは思えないほど仕事ができる人で、この先輩と一緒ならやっていけそうだと頼もしく思いました 異動先の店舗でもアルバイトの人から慕われ、ユーモアもあり、それでいて指導する時にはしっかり厳しく指導する、上司として尊敬できる人でした バイトの人たちもとてもいい人で、おじさんもすぐに馴染む事ができました 職場の人間関係は良…

  • 2020/04/10 10:23
    働けど 働けど

    23歳の頃、フランチャイズの店舗展開を行う会社に入社しました おじさんが配属された某ドーナツチェーンの店舗は、沖縄県で売り上げ2位の忙しい店舗でした 正社員はベテラン店主と、数週間前に入社した先輩とおじさんの3人で、ほかは全員アルバイトでした 新入社員はまず、ベテラン正社員がいる店舗で店舗運営のノウハウを学び、経験を積んでから異動し店主として店を運営するという流れでした 店舗運営するためにはまず、アルバイトがやっている全ての仕事をマスターし、その上でシフト作成や在庫管理や売り上げの計算など、正社員としての仕事を覚える必要がありました 普通のアルバイトが数ヶ月かけて覚える1つの作業を、数日で全て…

  • 2020/04/09 07:38
    そして、父になる

    沖縄に引き上げてきてから入籍し、彼女は妻になり、おじさんの実家の近くにある古い平屋で2人で暮らし始めました そこは祖父が古くからもっている借家で、隣には再婚した父親夫婦が住んでいました 当時貯金はまったくなく、身重の妻も働いていなかったので、登録制の日雇いバイトをしながら職探しをしていました 高卒で資格も何もなかったので、必然的に働ける条件は厳しいものばかりでした とりあえず定職に就かなくてはと思い、某パン会社に就職し、配送担当となりました 配送の仕事は長く、朝は5時から、夜は19時過ぎまで働いてました 一般企業が休む日ほど稼ぎ時なので、ゴールデンウィークや盆や正月は当然休みはなく、台風の日は…

  • 2020/04/08 08:09
    今でも後悔している事

    大阪で彼女と一緒に住むようになって半年ほど経った22歳の頃。おじさんは、彼女と結婚したいと思うようになりました そして、結婚する事を前提に、意図的に子供をつくりました。彼女から、子供ができたと聞かされた時は、これで結婚できると思い、とても嬉しい気持ちでした 子供を生み、育てるのは沖縄がいいと思い、5年間住んだ大阪を離れ、沖縄に帰る事にしました 彼女と子供を養っていくために、バンドは辞めようと決心しました バンドメンバーに、子供ができたのでバンドを辞めて沖縄に帰ると告げると、当然ですが、とても驚いていました 仲が良かったNO SPEAK ENGLISHとFASTER-Hiのメンバーにも話しました…

  • 2020/04/07 11:31
    この場をお借りして皆さんに伝えたい事

    大阪に住んでいた19歳〜22歳の頃、音楽業界ではいわゆる「青春パンク」と呼ばれるバンドが次々と現れてきました GOINT STEADY、ガガガSP、STANCE PUNKS、175R、SHACHI、ジャパハリネット、太陽族などなど 年齢的にも同世代だった事もあり、おじさんも当然、青春パンク系にハマってました その中でも一番好きだったのが、ミネタカズノブ率いるGOING STEADY、通称ゴイステでした ゴイステのライブを始めて観たのは2001年、神戸で開催された野外フェス「RUSH BALL2001」でした 出演はAIR、Dragon Ash、GOING STEADY、PENPALS、POTS…

  • 2020/04/06 10:33
    貧しくもひたむきに生きていたあの頃

    前の妻とは22歳の頃、大阪で出会いました 彼女は沖縄出身で、大阪の病院で働いてました 彼女も音楽が好きで、いろいろなバンドを知ってました。どうやって知ったかはわかりませんが、おじさんがやっていたバンドを知り、「音源買いたいです」と連絡をくれて、音源を渡しに行って出会いました 出会って1ヶ月ほど経ってから交際が始まり、3ヶ月後にはお互い引っ越して、一緒に住むようになりました 引っ越した頃、彼女は諸事情で仕事をしておらず、おじさんのバイト代だけで2人で生活していました 生活はとても貧しくて、電気も冷蔵庫もない生活でした。冬だったので食料は常温で置いてましたが、前の日に買った牛乳がヨーグルト状になっ…

  • #ソロ活
  • 2020/04/05 15:28
    KFCを愛してやまない沖縄おじさんがママチャリで往復22Km漕いで買いに行った話と動画

    唐突ですが、おじさんはKFCが好きです 大好きです どのくらい好きかと言うと、月に一度の帰省の時は嫁さんの手料理よりも沖縄そばよりも真っ先にKFCを食べるほど好きです そんなに好きなら帰省した時だけじゃなく福岡でも食べたらいいじゃんって思うでしょうが…ここ田川市には、一番近いKFCでも片道11Kmの距離で、おじさんの足代わりのママチャリだと往復で約3時間もかかってしまうのです もちろん博多や小倉に行けばKFCはあります。今まで何度も買って帰ろうと思ったんですが、電車内の密閉空間にKFCのあの何とも言えない香しい香りを漂わせるのはちょっとした犯罪レベルで他人を巻き込んでしまうので、チキン野郎のお…

  • 2020/04/04 09:18
    バンドマンの厳しい現実と新たな夢

    子供の頃から、いつしか「普通になりたくない」という意識がありました 「背広着てネクタイ締めて仕事する平凡なサラリーマンになりたくない」とか 「親のレールに敷かれた道を歩きたくない」とか 「学校のルールに縛られたくない」とか そんじょそこらに溢れてる、ブルーハーツに夢中な思春期男子が陥りそうな思考にとられて、とにかく普通を避けて目立とうとしてました 何か選択する時にはいつも、多数ではなく少数を選んでいました 小学生の頃に音楽に目覚め、中学に入る頃にはプロのミュージシャンになるという、これまた浅はかでベタな夢ができました 親友と出会い、いなくなってからはその夢はおじさん一人のものじゃなく、親友と2…

  • 2020/04/03 08:03
    バンド仲間の光と陰

    前回に続き、3ピースバンド「松健郎」(通称マッケン)をやっていた頃の話です ライブ回数が増えるにつれ、対バンの方々から声をかけられる事も増えていったんですが、3人とも人見知りなのであまり友達はできませんでした そんな中、とある対バンをきっかけにとても仲良くなったバンドが2つありました 3ピースのメロディックロックバンド「NO SPEAK ENGLISH」(通称ノースピ)と 女性ボーカルの4人組ミクスチャーポップバンド「FASTER-Hi」(通称ファスター)でした 彼らとは不思議とウマがあって、対バンの後は毎回、近くの「ザ・飯や」で打ち上げをするのが恒例でした ノースピにはたける(Vo/Gt)と…

  • 2020/04/02 09:24
    その名も「松健郎」

    20歳の頃。兵庫県伊丹市の工場で働いて半年後、またまた部署の縮小に伴いそこでの仕事がなくなりました 派遣会社が紹介してくれた職場はどこも遠かったので、派遣会社を辞めて一人で仕事と住む場所を探す事にし、大阪市西区の九条に引っ越して、心斎橋にある韓国風居酒屋でバイトを始めました その頃、新たにバンドを組みました 出会ったきっかけは忘れたんですが、年上のボーカル兼ギターと、年下のベースとの3ピースバンドで、ジャンルは当時流行っていたいわゆる「青春パンク」系でした バンド名の候補はいろいろあったんですが、あまり他とかぶらずに、名前だけでインパクトが残るように漢字にしたいというおじさんの案が採用され、メ…

  • 2020/04/01 10:16
    単身赴任の部屋にテレビが4台もある理由

    田川市に単身赴任後の出来事です おじさんの部屋には一時期、テレビが4台ありました。なぜ一人暮らしの部屋にそんなにたくさんのテレビがあったのか、という話をします 会社が用意してくれた住まいは、家具・家電付きのマンスリーマンションでした 前回書いたように、おじさんはバラエティ番組が大好きなテレビっ子です。当然、録画用の外付けHDDを沖縄から持って来ていました ところが、マンスリーマンションにあるテレビには、USBポート自体がなく、外付けHDDは挿せませんでした しかもけっこうサイズが小さくて物足りないので、テレビを買おうと思い、近所の家電量販店を見回ったものの、そんなに安いものはありませんでした …

  • 2020/04/01 10:16
    ヒーローよ永遠に

    子供の頃から、お笑い芸人やバラエティ番組が大好きでした 小学生の頃、おじさんにとって初めてのヒーローはダウンタウンでした 「ダウンタウンのごっつええ感じ」を毎週観ては、学校の休み時間に「兄貴」をパクったコントをやって、みんなにウケる事の楽しみを感じてました それから、「タモリのボキャブラ天国」にハマり、芸人たちのキャッチフレーズをほぼ全て暗記しました 姉の大学の学祭にアニマル梯団とX-GUNが出た時、初めて生でお笑い芸人を見てとても感動しました それから、「ウリナリ」「ジャングルTV」「笑う犬」「電波少年」「めちゃイケ」「ワンナイ」「リチャードホール」など、ありとあらゆるバラエティ番組を観て育…

  • 2020/04/01 10:16
    唯一自慢できること

    大阪で一人暮らしを始めた当初は、友達はほとんどいなかったんですが、次第に増えていきました ・ゆずコミュニティの友達 大阪で一人暮らしを始めて最初にできた友達は、ゆずのコミュニティのチャットで知り合った人たちでした 沖縄にいた頃にチャットを始めたんですが、その中でも特に仲の良かった4人とは、家で飲んだり、大阪で路上ライブやったり、一緒にライブに行ったり、スノボに行ったり、大阪に友達がいなかったおじさんを気にかけてくれてよく遊んでくれました 今ではみんな家庭をもって住む場所もバラバラですが、今でも連絡をとる仲で、去年大阪に遊びに行った時にはみんなで集まって飲みました ・お世話になった先輩 大阪に住…

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