【美しい✨】竹楽2024|竹灯籠の城下町にうっとり♪ in 大分県竹田市【イルミネーション】
黄金の丘寺院(ワット・プーカオトーン)のお祭り
No.3016 ちちぶ荒川新そばまつりを食べ尽くす
e96 大掃除いつやるか
第3回 三角広場まつり~HALLOWEEN盆踊り
新宿花園神社一の酉
【宅配クック123】祭り、駅伝、自治会はいらない。2024.11.4朝食
【気合♨】松尾神楽の湯立神楽2024は迫力あり! in 大分県豊後大野市【祭り】
祭りの後の祭り
【京都】『時代祭ツアー』に行ってきました。 京都祭り
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最近行った祭り~多治見茶碗祭りと尾州ひつじサミット
お祭り終わって⛩️ 倒れ込む
【ウニ好きなら絶対行きたい】かっぱ寿司のうに祭りに行って撃沈した日
川越まつり 2024
前回のヤリイカの釣果3杯に納得がいかず リベンジに🔥いつもの釣り仲間とは現地集合 人気があるのかベストポジションは先行者 先着の仲間の横に釣り座を構えエギを変…
娘と孫を千歳空港まで送って来ました。 送迎デッキから見ると 飛び立つ飛行機(滑走路)の後ろに巨大なクレーン郡 半導体工場の「ラピダス」デカイ! 以前の野原に…
孫が札幌へ戻って来た ジイジとバアバへのお土産もって (クッキー缶) 👇 ここへ行って来たと言っていました! 横浜のアンパンマンミュージアムにも行って来たら…
コロ・フェスタin姫路から早くも一週間が過ぎた。メインコンサートを全て聞いて「指揮者と演奏」について色々感じることがあったので、記憶が薄れないうちに記述しておくことにした。「演奏の出来不出来は指揮者次第である」とはよく言われることであるが、反面「指揮者が立派でも演奏者がついていけてない」演奏もある。しかし、ステージで発表する以上は「指揮者も演奏者も最大限の練習を重ねて良い演奏をする」を目指して本番に臨んでいるはずである。そのような観点から31団体を聞いて大まかに3つに分類してみた。いずれにしても、指揮者は重要な役割を担っているということである。1.良い指揮者の下でよい練習を重ねた完成度の高い立派な演奏。2.どのような音楽に仕上げたいのか、指揮者の意図が感じられない演奏。3.指揮者は立派(そう)だが、出てく...指揮者と演奏
兵庫県知事選挙に行って来ました。誰に入れたかったって。もちろん正義を貫いてる人やろ。一択やん。当選するように心から願ってます。ただ組織票持ってる人強いからなぁ。投票率上がってるからそこに期待するしか無いけど……本来ならこんな選挙せんで良い
久しぶりにコロ・フェスタに参加して、晴天下で繰り広げられた街角コンサート(残念ながら私は不参加)、もの凄い量のお酒のふるまいで盛りあがったコロナ禍明けの前夜祭、地元合唱団の多数参加でにぎわったメインコンサート等々、大成功で終始した姫路大会であった。しかし、私にはいつもの風景とは異なるものが一つあった。それは、誰がいなくてもこの人だけは必ずいるはずであり、コロ・フェスタの総本山とも言えるK山先生の姿が無かったことである。聞くところによれば、膝の手術を終えてリハビリに励んでいらっしゃるとのこと。帰宅後メッセージを送ったところ、お元気な返信をいただいた。一日も早い回復を願い再会を楽しみにしている。K山先生のこと
「第3回みからんの会」標記の会合が昨晩18日に山口コミセンで開かれ、全部で9名が参加した。この会合の目的は、「山口小学校のまだまだ使用可能な校舎の利用と、地域の活性化(衰退防止)を推進すると共に子供達の明るい未来の更なる一助となる。」というもので、内容としては「統合でも廃校でもなくその中間、連携を発案します!」としている。その目的達成のためにと、写真ボードのような様々な提案や意見が出された。「第3回みからんの会」
前回のヤリイカの釣果3杯に納得がいかず リベンジに🔥いつもの釣り仲間とは現地集合 人気があるのかベストポジションは先行者 先着の仲間の横に釣り座を構えエギを変…
ラジオ体操へ、月がきれいで撮影したい気持ちが、第1終わって首の運動。太陽が雲に隠れて、シャッターチャンス、いたたまれなくなりうわの空で第2を、帰宅して撮影した時には太陽が出てしまった。6:45撮影、いわき市四倉にて。19日今朝の月
友が出光美術館閉館で、東京行きの話しから、私もお別れしたかったので「私も連れてって」私は以前、1940出光興産として改組設立した所に2年ほど勤め、通勤バス事故で車いす生活になったが、懐かしさが甦り、美術館は東京駅の近く丸の内ビル帝国劇場の4Fから上が本社で、美術作品は、創業者1885年生まれの出光佐三さんが集めたもので、一つ一つが出光さんに見えてくる。会津の一事務員である闘病の私を見舞いに来たのも、出光さんは「社員は家族」と言っていたからで、呼び名も社長でなく「店主」で、初めて訪ねたのは昭和48年(1973)で応接室の棚に花瓶が飾れていた。花瓶には桃の彫刻が施され見とれていると、店主は良いだろうと無造作に私の車椅子の膝に載せた。私は花瓶を抱きしめるように撫でた。後日、その花瓶を美術館で見たが、陶芸界初の文...大石邦子「別れの美術館」より
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